始めに松尾准教授は、建学の精神における「内省」の意味について「過去の自分を省みて、自分がどのような人間か知ることだ」と説明した。また「内省は何かの目的のために必要というわけでなく、自身の向上のためでもない」と話した。 松尾准教授は、娘を必要以上にしかりつけてしまった体験から、自分の中に潜んでいた性質に気付いた。その驚きの経験があって初めて、本当の自分の姿をよく知らなければならないと感じたという。 それまでは、理想の自分を追い求めるためにどのようにして生きるべきかということに目を向けてきた。しかしそれだけではなく、「今までどう生きてきたのか、という事実も知らなければならないことに気付いた」と松尾准教授は語った。加えて具体的な出来事を振り返り、自分では忘れてしまいたいずるいことも含めて自分を見つめ直すことが、「内省」の本質であると述べた。 また松尾准教授は、若いころ浄土真宗の教義における罪の定義に納得がいかなかったという。その理由として、市民感覚では罪にならないようなことを罪という大げささと、自分を悪人と言い切る卑屈さを挙げた。 しかしその教義は、「わが身を守ろうとする無明を注意してくれている」ということに松尾准教授は気付いた。「無明は自分では気付くことができず、阿弥陀如来からのメッセージでしか分からない」と語った。 松尾准教授は、「内省」が建学の精神の第三条に掲げられる理由として、「内省」が建学の精神の要であると考えていると述べた。 最後に、「仏に出会うということが内省につながるのだ」と締めくくり、講演会を終了した。
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